まちの感想屋さん

ジュースは遊び

未成形の崇拝:住野よる『青くて痛くて脆い』感想

この本は、誰かを崇拝したことのある人に刺さる。

誰かを好きになる、くらいではまだ足りなくて、

好きで好きでたまらなくて、

ある日ふとしたきっかけでそれが憎しみに転じてしまうくらい焦がれたことのある人でなくては、

主人公・田端楓の心情に共感するのは難しい。

 

楓の信条は非常にシンプルであり、下記の二点に集約されている。

「人に不用意に近づきすぎないこと」

「誰かの意見に反する意見を出来るだけ口に出さないこと」

他人を傷つけ、傷つけられるくらいならば、黙って波風を立てずにいたい。

そのモットー自体は読者にとって一定の納得ができるものである。

 

しかし平和主義のヴェールに覆い隠された楓の性格は激烈である。

異常なほどの執着にとらわれた彼は、四年間の大学生活にけじめをつけるため、

かつて設立メンバーとして関わっていたサークル「モアイ」を壊すことで

昔抱いていたはずの理想を取り戻そうとする。

 

楓が崇拝したのは秋好寿乃(あきよしひさの)という名の同級生だった。

とは言っても最初から好意的だったわけではない。

さまざまな講義で挙手しては訊かれてもいない世界平和論を語り、周囲から煙たがられていた秋好を、
むしろ楓は珍獣を観察するような目で見ていた。

ではいかにして崇拝は成立したのか。

 

楓の中には正義感とそれに対する冷笑がひとところに存在している。

ひりつくように痛い素の自分と、それを押し隠し、馬鹿にするスタンスの自分。

自らの内側に抱える”痛さ”を肯定できないから、

争いのない世界を本気で願ってやまない秋好に理想を求めたのである。

 

楓が焦がれるのは人間としての秋好ではない。
理想を詰め込んで捏ね上げた、秋好のイコンである。

人間を神として崇拝した先には何があるのか。

すなわち失望と、それとセットになった憎しみである。

 

本来これはたまたま同じ講義を取った学生同士ではなく、

もっと遠い間柄で発生することの多い感情のはずだ。

アイドルや俳優がスキャンダルで炎上するケースを想像すると分かりやすいだろうか。

偶像は脆く崩れ去り、誰よりも彼らを崇拝していたはずのファンがたちまちアンチへと転ずる。

 

やがて当然の帰結として楓は、感情を剥き出しにした、人間としての秋好と対峙せざるを得なくなる。

他でもない秋好自身から、「私のこと、好きだったの?」と訊ねられた楓は激昂する。

自らの秋好に対する執着に恋愛感情という名前をつけて簡単に括ってしまったら、

かつて確かにそこにあったはずの未成形で真摯な思いは嘘になってしまう。

秋好はその歪みを許せる感性を持ち合わせている人間ではなかった。

だから怒りを露わにしたのだ。

 

誰かを崇拝することはどこまでも一方的で、心地良い。

気持ち悪いと拒絶されることもない。

その快楽に浸りきった人間が真剣に誰かと向き合おうとしたとき、

抉り合う傷の深さを教えてくれる小説だった。

 

【ネタバレ有】 「わかりみ」と六連星:辻村深月『かがみの孤城』感想


小説、漫画、音楽、映画。

コンテンツが大衆受けするために最も必要なものとは何だろう?

 

漫画やライトノベルの指南書にはしばしば「共感できる主人公像を作れ」と書いてある。

一般人が聴いて10人中9人が「俺/私のことだ……」と感じるのが良い歌詞だと

昔見たDTMマガジンの記事にも書いてあった。

卑近な表現を使うなら、いわゆる「わかりみ」というやつである。

そして私が『かがみの孤城』を手に取ったのも、この本に「わかりみ」を少なからず期待したからだ。

 

公式のあらすじは以下の通りである。

 

  あなたを、助けたい。


  学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、
  ある日突然部屋の鏡が光り始めた。
  輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。
  そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた――
  なぜこの7人が、なぜこの場所に。
  すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる。
  生きづらさを感じているすべての人に贈る物語。一気読み必至の著者最高傑作。

  (「かがみの孤城 辻村深月 | ポプラ社https://www.poplar.co.jp/pr/kagami/

 


「城」に集められた者のうちほぼ全員が、なんらかの事情で「雪科第五中学」に行けない、問題を抱えた子どもたちだ。


7人も集まるといろんな人間がいる。

虚言、親の再婚、貧乏、才能。生きづらさには個別の事情が付きまとっている。

それらをまとめて描いた結果、「生きづらさを感じているすべての人」にひどく刺さる内容となっている。

 

 

 

ただ、この本が単なる共感と日陰者のカタルシスに使われるだけの器ではない、

そのような一時的な消費で終わるポテンシャルの作品ではないということは声を大にして言いたい。

もし登場人物たちから「わかりみ」を得なかったとしても、エンタメとして、この小説は面白い。

 

物語を追っていく際に何を考えるかは人それぞれだが、やはり主要なものとして

 

・「オオカミさま」の正体

・雪科第五中で会えなかった理由

 

の2点は気になった読者が多いのではないだろうか。

 

ちなみに私は、「オオカミさま」の正体については最後まで当てられなかった。

最初は喜多嶋先生が「城」に子どもたちを集めて心のケアをしたかったのかと予想した。

ただ、1月10日の保健室で混乱するこころに対して、

喜多嶋先生が何も知らなさそうな素振りをしていたのを見て、その線は外した。

それから正体が明かされるまでは、東条萌が「オオカミさま」ではないかと見当をつけていた。

アンティークドールのような服装、可憐な容姿、童話の絵本。

あとから振り返って考えてみると明らかなブラフなのだが。

 

もう1つのトリック、つまり7人の年代がズレていたことに関しては、序盤から気づいていた。

少なくともマサムネが1ヶ月考えてパラレルワールド説を唱えるよりは前に。

決定的にどの時点というよりは、小さな描写の積み重ねで察した。

 

作中には名前の出ている固有の作品名と、それとは違ってぼかされたものがある。

【現実世界の発売年】

1996年 ポケットモンスター初代赤緑

1997年 ハリー・ポッター和訳初版

2000年 PlayStation2発売

2001年 ハリー・ポッターと賢者の石(1作目)映画

2006年 PlayStation3発売

2013年 PlayStation4情報発表


【作中で子どもたちが暮らしていた時代】

1985年 スバル

1992年 アキ

1999年 実生

2006年 こころ、リオン

2013年 マサムネ

2020年 フウカ

2027年 ウレシノ

 


それぞれの時代と発売年を照らし合わせると

・スバルがロン(ハリー・ポッターの登場人物)を知らない

・マサムネがPS4の話をしたいのにこころは3の話をしている

あたりの描写がしっくり嵌まるのではないだろうか。

作品以外にも、カレオとアルコ、スクールカウンセラーの有無、

移動販売車、ウォークマンなどなど

「オオカミさま」の言及していた通りヒントはそこかしこに転がっていた印象である。

 

この年代のズレと「私たちは助け合える」という希望の絡み方が

本作の一番面白いところだと思う。

「問題児」だったアキが喜多嶋先生になって他の仲間を助ける展開もだが、

個人的にはスバルのその後の未来も熱かった。

「このゲーム作ったの、オレの友達」というマサムネの虚言を嘘にしないために、

スバルは現実世界に帰ってからゲームクリエイターになる。

そしてナガヒサ・ロクレンとなって大ヒット作『ゲトワ』のディレクターを務めるのだ。

空に輝く昴の別名は六連星(むつらぼし)。六連。ロクレン。

ナガヒサ・ロクレンは、本名の長久昴から取ったものだろう。

 

たとえ記憶がなくとも、時代を越えて彼らは助け合っている。

何光年も離れた星のように、時間差で互いの暗路を照らしている。

援軍を望むべくもないはずの孤城で、彼らは真に仲間を得たのである。